12.12軍事反乱
韓国は常に軍事境界線を挟んで北朝鮮と緊張状態にあった。常に金日成が攻めてくるかもしれないという危機に直面していた。そういった状況下において、前方部隊の軍団長や師団長が無断離脱したことに、ジョン・ウィッカム(John A. Wickham Jr.)米8軍司令官は憤慨した。
膠着
8時40分頃、全斗煥が戻って来て、大統領の裁可が受けられなかった旨を伝えた。黄永時中将の提案で、全斗煥のほか、黄永時・兪學聖・白雲澤ら将軍たちが再び総理官邸を訪ねて行った。
崔圭夏は、組閣について話し合うために、申鉉碻国務総理と会っていた。
将軍たちは銃を車内に置き、丸腰で面会した。そして、再び鄭昇和参謀総長に対する調査への裁可を求めた。
この時、連絡が取れなかった盧載鉉国防長官にようやく繋がった。しかし、盧載鉉は崔圭夏大統領の呼び出しに応じなかった。
結局この時も大統領の裁可を得ることはできず、将軍たちは諦めて帰って行った。
崔圭夏大統領も申鉉碻国務総理も、軍部に何が起こっているのか、どのように対処すべきか分からなかった。尹誠敏参謀次長が「珍島犬1号」を発令したことすら知らなかったのだ。
首警司に指揮本部を移動
尹誠敏参謀次長は鄭柄宙特戦団司令官との電話で、第1空輸旅団長・朴煕道と第3空輸旅団長・崔世昌の行方が分からなくなっていることを知った。次の襲撃先が陸軍本部となっても、防衛する兵力がなかった。
12日午後9時前、首都主要部隊の指揮官たちが全斗煥と繋がっていたため、危機を感じた軍首脳部は、指揮本部を陸軍本部バンカーから麾下兵力が多い首都警備司令部に移動する決定をした。
9時には指揮本部が移動し、9時20分頃に首都警備司令官室に臨時作戦本部が置かれた。
文洪球合同参謀会議本部長1中将。陸軍士官学校9期生。・張泰玩首都警備司令官・金晋基憲兵監は強硬鎮圧を主張していたが、尹誠敏参謀次長は、クーデター側と連絡を取り続けているうちに態度を軟化させていった。
怒りの張泰玩首警司令官
張泰玩首都警備司令官は、自身の隷下にある30警備団と33警備団が鄭昇和参謀総長連行を企んだ者たちの集会場になっていることに激怒した。
第30警備団に電話を掛けたが、火のような性格の張泰玩は背信行為を許せず、先輩の将軍たち相手でも容赦なく罵詈雑言を浴びせた。その時の通話記録が残っている。
張「30警備団だな!」
?「はい。30警備団長室です」
張「司令官だ。張世東に変われ!」
兪「ああ、もしもし」
張「先輩、今、全国非常戒厳令下で将兵たちの外出外泊が禁止されているのに、よその部隊にあれやこれやと人を集めて、何を徒党組んでやっているのですか? どういう了見で総長どのにあんな真似ができるのですか? 先輩! 私よりもそちらにおられる方々の方が総長に近いはずではないですか? この非常事態において、戒厳司令官である総長どのを拉致してどうされるおつもりですか? 早く総長どのを元の場所に送り届けてください。今回のことは報道にも漏らさず、無かったことにして差し上げます。30警備団は大統領にお仕えする近衛部隊です。司令官である私も日没後は特別な仕事がない限りは、その部隊に行くことがありません!」
兪「あー、張将軍! そんなに興奮しなさんな。こっちに来なさい。こっちに来て我々と少し話をしようじゃないか」
張「この反乱軍の野郎どもが! 貴様ら、そこから動くなよ。俺が戦車でサクッと轢き殺してやる!」
(張泰玩の怒気が凄まじかったため、なだめようと、兪學聖から黄永時に変わっている)
黄「張将軍! どうしてそんなに興奮するんだ。落ち着け! そんな事しないで30警備団に来て我々と共に事を運ぼうじゃないか」
張「いや、先輩。私はまだ鄭総長に一度たりともまともにお仕えしたことがないんですよ? 先輩の方が私なんかよりよっぽど鄭総長にお仕えしていたではありませんか。だったら先輩こそ(鄭総長を)補佐しなければならない立場ではないですか? 鄭総長と近い先輩が何があって、そのような真似をされるのですか! 今回の件は無かったことにしますから、早く総長どのを原状復帰させてください」
黄「張将軍! それはできない。今回、朴大統領弑害事件の捜査のためにも不可避なのだ」
張「いいとも、この野郎ども! そこを1ミリたりとも動くなよ。俺が大砲を持って、貴様らの頭を全部吹っ飛ばしてやるからな!!」
黄「張将軍! 首都軍団長がここに来ているのだから、話を聞いてみて……」
張「もう結構!」
(通話が切れる)
張泰玩は12.12裁判の証人として、この時の状況について「上官が北韓2北朝鮮に行こうとしたなら、部下はたとえ相手が大将であっても撃たなければならない」と話した。
張泰玩は、首都警備司令部麾下である第30警備団長・張世東と第33警備団長・金振永、および趙洪憲兵団長に対する逮捕命令を出した。
「発見次第、逮捕しろ。抵抗すれば射殺せよ!」
盧泰愚、第9師団出動命令
12月12日午後11時20分、盧泰愚少将は三清洞にある総理官邸を警備していた将校に、崔圭夏大統領に会いに来た人間は誰であろうと先に全斗煥保安司令官に面談させるように、電話で指示した。
日付変わって翌13日午前0時、盧泰愚は麾下の第9師団参謀長・具昌會大領に電話で、一個連隊をソウルに派遣して、中央庁を占拠するように命じた。
師団の三個連隊は軍事境界線に向けて配置されていたが、後方の二個予備連隊のうち、一個連隊を前線から外した形となった。
この出動命令が誰の意思だったかについては「議論の末に兪學聖が指示した」「白雲澤が盧泰愚に進言した」といった証言や資料があり、錯綜したが、のちに盧泰愚自身が「私自身が命じた」と話している。
盧泰愚は「外患以上に内憂が危険だったため」としたが、首都防衛に欠かせない兵力を外してしまったことになる。
第2機甲旅団長・李相珪准将は、白雲澤から依頼を受けて一個戦車大隊を出動させた。第9師団一個連隊と共に、彼らは中央庁や光化門を占拠した。
偽りの紳士協定
尹誠敏参謀次長からの一個旅団を首警司に派遣せよという指示を受けて、鄭柄宙特戦団司令官は第9空輸旅団を出動させた。
陸軍特戦団司令部空輸団のうち、第1・3・5空輸団長がクーデター派だったが、第9空輸旅団長・尹興祺准将は甲種35期出身で、陸軍士官学校出身者ではなかったため、全斗煥らハナ会とは何の繋がりもなかった。
一方で陸軍本部側は、味方同士で激しい軍事衝突を起こすことに対して躊躇していた。もし北朝鮮側に知られれば、南侵の危険がある。尹誠敏参謀次長が強硬な態度を軟化させたのは、そういった理由からであった。
夜11時頃、クーデター側と陸軍本部の間で、兵力を動員せずに解決するという協定が一時的に結ばれたかのように見えた。
個人的な人間関係によって強く繋がっていた全斗煥らクーデター側は、事を成就させるために一致団結して行動していた。彼らは人脈を使って説得工作を試みた。主に保安司令部秘書室長・許和平大領と保安処長・鄭棹永准将がこの役割を担っていた。
鄭棹永の指示で、「出動命令は無効」という身元不明の電話が第9旅団状況室に掛かって来たため、尹興祺旅団長がジープで一旦戻って来るなど、現場は混乱した。
結局、特戦団第9空輸旅団は京仁高速道路に入る直前の富平インターチェンジまで到達していたが、尹誠敏参謀次長が直接指示したことにより、回軍した。この出動無効は鄭柄宙特戦団司令官には報されておらず、張泰玩首警司令官も知らないままだった。
しかし、その一方で、クーデター側の朴煕道第1空輸旅団長は、全斗煥の命令で部隊を出動させていた。第1空輸旅団は幸州大橋を渡った。
全斗煥に屈した国防長官
12月13日午前1時、朴煕道率いる第1空輸旅団は陸軍本部を占領した。
米8軍バンカーに潜伏して行方をくらましていた盧載鉉国防長官は、深夜になって国防部に移動していた。長官室には、金容烋国防次官ほか十数名の将軍と三十余名の警護憲兵がいた。
同日午前2時30分頃になって、ようやく総理官邸から盧載鉉長官に連絡が繋がった。申鉉碻国務総理は盧載鉉長官に総理官邸に来るように催促したが、盧載鉉は銃撃が続いてるので出られないと拒絶した。たまりかねた崔圭夏大統領が直接受話器を受け取って命じても、盧載鉉の答えは変わらなかった。結局、申鉉碻総理の方から、李熺性中央情報部長代行と共に国防部に出向く羽目になった。
そのころ、国防部にも第1空輸旅団がM16を乱射しながら突入してきた。盧載鉉長官は警護兵1名を連れて地下室に逃げようとして階段の脇に隠れていたところを空輸団の兵士に発見された。
国防部に到着した申鉉碻総理が入っていくと、建物内にはガラスの破片が散乱していた。申鉉碻は盧載鉉と会い、彼を連れ出して総理官邸に向かった3盧載鉉は兵士に発見されたが、拘束されてはいなかった。。官邸に着き、申鉉碻はそのまま崔圭夏大統領がいる部屋に戻ったが、盧載鉉国防長官は別途、保安司令部に案内された。
司令官室に入ってきた盧載鉉は、どういう訳か、「ハッハッハ……」と高らかに笑い声を上げていた。
鄭柄宙特戦団司令官を銃撃
全斗煥は、第3空輸旅団長・崔世昌准将に、鄭柄宙特戦団司令官の逮捕連行を命じた。
崔世昌は、麾下旅団を指揮して特戦団司令部を包囲した。大隊長・朴琮圭中領が特攻部隊を率いて侵入、M16を乱射して秘書室の扉の鍵を壊して突入すると、中から銃弾が飛んできた。隊員2名がM16を再び室内に向けて乱射し、中へ入ると、司令官秘書室長・金五郎少領が倒れていた。彼はこの銃撃で命を落とした。朴琮圭と金五郎は陸軍士官学校の先輩と後輩で、同じ官舎で過ごし、家族ぐるみで付き合うほど親しい間柄だった。
朴琮圭率いる部隊は、左腕に貫通傷を負って血を流している鄭柄宙特戦団司令官を強引に連行し、ジープに乗せ、保安司令部西氷庫分室に監禁した。そこで「人間以下の待遇を受けた」という鄭柄宙は、出血によるショックで痙攣し、のちに国軍ソウル地区病院に搬送された。
岐路に立った申允煕
首都警備司令部憲兵副団長・申允煕中領は混乱していた。張世東・金振永・趙洪に対して射殺命令が出されたのだ。彼はつい先ほど第33警備団長・金振永大領と会話を交わしたばかりであった。その上に憲兵団長の趙洪は直属の上官だった。
趙洪は電話で申允煕に、司令官室に誰がいるのか尋ねてきた。申允煕は司令官室に行って確認してから報告した。それから状況がよく呑み込めぬまま数時間が経過した。
午後11半頃、再び趙洪から電話が掛かってきた。
――首都警備司令官を逮捕し、そこにいる将軍たちの武装を解除せよ。
首都警備司令官と、直属の上官である憲兵団長からの命令は全く逆であった。申允煕は岐路に立たされてしまった。しかし、憲兵科の先輩たちが皆、合同捜査本部側に立っていたので、彼は趙団長の指示に従う決意をした。
申允煕中領は、60人ほどの憲兵を3組に分けて動員し、うち5人を連れて、司令官室がある本庁に向かった。
敗北
――張泰玩を射殺せよ。
無線で自身の射殺命令を聞きつけ、張泰玩首都警備司令官は包囲網を感じていた。それでも彼は最後まで戦うつもりでいた。しかし午前2時半頃、盧載鉉国防長官との電話で戦いの終わりを告げられた。
鄭柄宙特戦団司令官は連行され、陸軍本部も国防部も第1空輸旅団によって占拠されてしまった後だった。司令官室にいた将軍たちは虚脱感に襲われた。
張泰玩は参謀たちに言った。
「皆、今夜は御苦労だった。これから一切の戦闘行為と射撃を中止せよ。全ては終わった。我々は敗れた。軍人は勝敗に潔くなければならない。全ての責任は私にある」
午前3時頃だった。申允煕中領率いる憲兵たちが司令官室に突入してきた。
「手を上げろ!」
「何者だ!?」
銃撃音が響いた。陸軍本部作戦参謀部長・河小坤少将が肺を撃たれて倒れた。
張泰玩・文洪球・金晋基らが武装を解除され、西氷庫分室に連行されたが、尹誠敏参謀次長だけは全斗煥保安司令官ら将軍たちがいる部屋に案内された。
13日午前5時頃、李建榮第3軍司令官は盧載鉉国防長官から電話で呼び出された。国防部に到着すると、盧長官がアゴで出入口を指し示した。李建榮司令官は、階級章のない軍服姿の男二人に取り押さえられ、武装解除されて保安司令部・西氷庫分室に連行された。
裁可時刻「05:10AM」
保安司令官室には、兪學聖や黄永時将軍のほかに、敗軍の将となった尹誠敏参謀次長が消沈した様子で立っていた。
盧載鉉は全斗煥から、鄭昇和陸軍参謀総長連行の書類にサインするように迫られた。状況的に抵抗する意味はないと考えた盧載鉉は書類にサインをした。
申鉉碻総理は盧載鉉長官が一緒について来るものと思っていたが、彼の姿は消えていた。かなりの時間が経ってから、ようやく盧載鉉国防長官が姿を現した。彼は鄭昇和陸軍参謀総長連行の決裁書類を手にしていた。
今ごろになって現れたことに崔圭夏大統領は激怒したが、盧載鉉は「混乱を阻止するため、大統領閣下が裁可を下されるほかありません」と書類を差し出した。
軍部がクーデター側に落ちてしまった以上、為す術はなかった。
崔圭夏大統領は書類にサインをした。その時、彼はあえて「12·13 05:10AM」とサインをした時間を書き加えたという。これは、大統領が裁可を下した時間が鄭昇和陸軍参謀総長を連行した時間よりも後であったこと――事後承諾を示した証となるはずであった。しかし、新軍部が公開した『第5共和国全史』に掲載された決裁文書には「05:10AM」の記述は見られない。クーデター側に不都合な部分であったため、削除されたのではないかという見方もあるが、崔圭夏がのちに証言を拒んだこともあり、真相は不明のままである。
参考文献
- 金在洪 著・金淳鎬 訳『極秘 韓国軍 知られざる真実―軍事政権の内幕(上)』光人社 1995年 【】
- 趙甲濟 著・黄民基 訳『別冊宝島89 軍部!』JICC出版局 1989年【】
- 嚴相益 著・金重明 訳『被告人閣下―全斗煥・盧泰愚裁判傍聴記』文藝春秋 1997年【】
- 趙甲濟 著・黄珉基 訳『韓国を震撼させた十一日間』JICC出版局 1987年 【】
- 李啓聖『實録青瓦臺 지는 별 뜨는 별』한국일보 1993年
- 나무위키 namu.wiki/12.12 군사반란
- 나무위키 namu.wiki/하나회
- 『유학성-황영시-장태완 통화』뻘글 집합소
- 『노태우의 묘를 국가가 관리… 씁쓸합니다』오마이뉴스 2024年2月1日
- 『정승화 체포 문서 ‘미스터리’』 경향신문 2018年11月1日