裁判長どの1金載圭が「裁判長」という呼称を用いているのはここだけで、以下は全て「審判長」と呼んでいる。、そして審判長2『박정희의 유산』によると、昔の軍隊での裁判長に対する呼称であるとのこと。金載圭が「裁判長」と「審判長」と並列して呼称した理由は分からない。どの。最終陳述の機会を与えてくださり感謝いたします。声がかすれて上手く話せるか分かりませんが、最後なので何とか務めてみます。

本人3以下、「本人」とは金載圭自身を指す。ほか被告人たちは今、内乱罪で起訴され裁判を受けています。ところで、我が国では合法的に樹立された民主党4張勉政権時の与党政権が5.16革命51961年当時、軍人だった朴正煕少将らが起こした軍事クーデター。によって追放されてしまいました。十月維新61972年10月、非常戒厳令を宣布し、朴正煕大統領の独裁的権力をさらに高める維新憲法に改正された。以降の朴正煕政権は「維新体制」「第4共和国」と呼称される。は自分の家の庭で再度行なわれた革命と言ってよく、こんな風にして自由民主主義を抹殺したのです。今回の10.26革命は、この国の建国理念であり国是でもあり、6.257朝鮮戦争を通じて全国民が受難を経験して、数え切れないほど多くの人々が命を捧げて守ってきた自由民主主義回復のために行なったものです。
この革命が何ゆえに内乱罪で裁かれなければならないのかという思いがあります。今現在、我々大韓民国の老若男女三千七百万すべてと言っても良い国民が自由民主主義を渇望しているのは事実なのです。これを回復させることが、どうして内乱罪なのでしょうか。また10.26革命は純粋で、綺麗なものです。政権欲や私利私欲がある訳ではありません。ひたすら自由民主主義を回復するという一心で決行したものです。この革命の結果、自由民主主義は完全に回復しました。それが保証されたのです。
崔大統領8崔圭夏におかれましては、去る権限代行の折に国民の前で公約されました。崔大統領は現在の任期を待たずに途中で辞任すると述べられましたが、これは過渡政府を意味するもので、その過渡とは自由民主主義に移行するという意味での過渡ではないのですか。従って、10.26革命の目的は完全に達成されたものと考えます。それだけではなく、国会でも緊急措置9号9朴正煕維新体制下、大統領が国会を通さずに下す特別措置。第9号は維新体制に反対する運動や報道を禁じる内容となっている。の解除が決議されました。10.26革命がなかったら、このような決議が起こり得るでしょうか。これこそ革命の成功を立証するものです。またこの革命は、5.16革命や十月維新に比べて、正々堂々たるものです。虚弱な自由民主党10自由民主党は、第3共和国初期の1963年に韓国で創設された保守系政党であるが、このくだりが5.16軍事クーデターを指すのであれば、第3共和国期の自由民主党ではなく、第1共和国期の自由党の一部と合流した第2共和国期の民主党を指すのではないかと思われる。無論、日本の自由民主党とは無関係である。政権を無力化するために追い出したり、庭で一暴れして自由主義を抹殺すること11十月維新を指すに比べれば……、我々は絶大な権力を持った維新体制に正面から挑戦し、これを打破することに成功しました。従って、10.26革命こそ歴史上最も正々堂々たる革命であると考えます。
無論、革命としては無血革命が最も理想的です。しかし、無血が不可能であれば、やむを得ず最小限の犠牲は払わなければなりません。今回の10.26革命において、最小限の犠牲は避けられないものだったのです。皆さんも御存知のように、朴正煕大統領閣下におかれましては、自由民主主義の回復のために閣下御自身の犠牲が宿命とならざるを得ませんでした。無論、我々が大統領閣下を失ったことは痛恨の極みであります。まさしく、この痛みは喩えようもありません。
しかしながら維新以降七年が経過し、永久執権が保障されてしまった今日より二十年から二十五年――これは李博士12李承晩の寿命を基準にしたものですが、最低限の自由民主主義の回復もなされないのかと思うと胸が苦しくてどうしようもありませんでした。従って、この国全体の国民の犠牲を避けるためには、結局この革命を行なわざるを得なかったのです。
今、我々はみな感傷的になっていますし、感情も高ぶっています。物事に対して感情的になり、極端に偏った判断になってしまうのです。よってこの度、私どもが内乱罪で裁判を受けることも、こういった理由であると考えます。従って我々は、感情は感情として置いておき、政治に対しては現実的かつ冷静に判断し、法は厳然たる姿勢でもって適用されなければなりません。
私は法についてはよく分かりませんが、時間や状況を選り分けず、公正な法を適用するために判例を重要視しているのではないかと考えています。私は、自分の命を助けてもらうために最終陳述を行おうとしているのではありません。
むしろ男として生を受け、己ができ得る、己が命を懸けられる名分を見い出せたことに対して、甚だ幸せに死ねる運命を持った人間であると自負しています。重ねて申し上げますが、私は今日死んだとしても、永遠に生きる自負心があるので、少しも命乞いをしたいと思っていません。けれども私は、10.26革命の理念と精神と、その成功の結果を明らかにするために、法が許す限りの最後の日まで、闘う以外ないのです。
繰り返しますが、5.16革命や十月維新が不法ではないというのであれば、10.26革命も不法ではないと考えておりますので、最後まで闘争すると申し上げます。万一私が闘わなければ、10.26は意味のない革命となり果ててしまうでしょう。
皆さん、我が国は自由民主主義の国家でなければなりません。これは私が今さら説明するまでもありませんが、建国の理念であります。我々の国是です。あまたの国民の犠牲と全ての国民の受難の上で守ってきた自由民主主義です。いかなる理由であろうと、これは抹殺してはいけないものです。ところが1972年の維新とともに、訳もなく抹殺されてしまいました。このように維新体制は国民のためではなく、朴正煕大統領閣下の終身執権の座を保障するためのものになってしまったのです。私は、民主主義国家では、大統領には自由民主主義を取り行なう義務と責任があっても、これを抹殺する権限は何者からも受けられず、絶対にあってはならないと考えております。
こうして我が国では、矛盾した事態が起こったのです。特に反体制的な声や民主主義回復への声が高まるや、緊急措置9号が1975年に発動されて数多くの人が投獄されました。しかしながら、この火は消えずに燃え広がっています。全国に膨らみました。私が情報部長として把握しているところによると、この先も維新体制のままでは、政府と国民の間で熾烈な戦いが繰り広げられます。この攻防では多くの人間が犠牲になるでしょう。
李承晩大統領と朴正煕大統領を比較すると、李承晩大統領は引き際を弁えていましたが、朴正煕大統領閣下は断じて退きません。最後まで頑なでした。このままでは、いかなる犠牲者が出ようと自由民主主義は決して回復できません。本人はそれが分かっていたので、維新体制を支える一角ではありましたが、これ以上国民の不幸を静観できず、この社会の矛盾した問題を解決するために、顧みてその源を断ったのです。
私が起こした10.26革命の目的五つを申し上げます。まずは自由民主主義の回復です。二つ目はこれ以上の国民の犠牲を防ぐこと。また三つ目は我が国の赤化を防ぐこと。四つ目は同盟国である米国との関係が建国以来最も悪化した状態であり、この関係を完全に回復し、同盟国としての厚い関係を持って国防を維持して、外交・経済まで更に積極的な協力を通じ、国益を図るというものであります。最後の五つ目は、国際的に我が国は独裁国家として悪いイメージを持たれてしまいました。これを払拭し、国民と国家の、国際社会での名誉を回復させようというものです。この五つが私の革命の目的であります。この目的は10.26革命決行の成功とともに全て解決します。解決が保証されたのです。
ここで一つ確実に申し上げたいことは、私は決して大統領になるために革命を起こしたのではありません。私は軍人であり、革命家です。軍人や革命家が政治を行なえば、独裁となるはずです。独裁を拒んで革命を起こした私が独裁の要因を作る訳がありません。また、私は大統領閣下との個人的な義理を清算して革命を起こしましたが、大統領閣下の墓に上に立つほど、まだそこまで私の道徳観は堕落しておりません。
革命の決行は成功しましたが、革命の課題には着手できないまま五十日余りが経ちました。革命の決行に劣らず、課題の遂行が重要です。長々と十九年もの間、この国には多くの塵芥がぎっしりと詰まってしまいました。これらを片づけないで、どうするのでしょうか。皆さん、御覧ください。証券ショックや四大疑獄13証券疑獄・セナラ事件・ウォーカーヒル事件・パチンコ導入事件の総称。政治資金を集めていた金鍾泌が、共和党創設のために韓国電力株を証券市場に放出し、セナラ自動車からの取り分を上乗せさせたり、パチンコを導入するなどして資金を調達していた。、これらは即6.3事態141964年に行なわれた日本との国交正常化に反対する学生運動。のちの大統領・李博明もデモを主導して逮捕拘束されている。を引き起こしました。当時、私は師団長としてソウルに赴き、事態を鎮圧する指揮官として務めていたので、その時の状況をまざまざと記憶しており、よく分かっております。疑獄事件は国民を愚弄するものでした。莫大な額を蓄財しておきながら責任を取った者は一人もおりません。今に至るまで、蓄財された金はビタ一文も国に返還されていないのです。これでどうして、この社会に正義があると言えるのでしょうか。こういったことを片づけないまま自由民主主義を始めたところで、順調に行くでしょうか。
また、私はこのようにも考えております。今は我が国に核心がありません。大統領閣下が亡くなられてから、核心が抜け落ちてしまいました。中心がないのです。このような状況が最も危険なのです。4.19革命151960年に起きた李承晩政権下の不正選挙に反対する学生運動。以降の状況と似ています。主がいないのです。このようにして自由民主主義が出発すると、影響力を持った輩に押し出されれば、またしても倒れてしまいます。悪循環が続くのです。これを止められるのは、もっぱら民主回復を導いた私しかいないでしょう。軍の重要指揮官と協力して自由民主主義を出発させ、これを保護するのが私の役割であると考えています。
この国では建国以来、今まで一度たりとも大統領や政権が理に適った方法で移行したことがありません。今回もさることながら、4.19革命と5.16革命、こんな悪循環をいつまで続けていくのでしょうか。私は軍首脳たちと手を取り合って、この国の政権が先々国民の意思に沿って、合理的に移行するように根付かせなければなりません。それは私がすることです。そのように一度作ってさえおけば、それが契機となり、政権が変わろうが大統領が変わろうが国民の意思に沿った、合理的な方法で行なえると考えます。それは私が担わなければならないと考えています。
そして私は、崔大統領閣下に申し上げたい。自由民主主義が玄関前までやって来ているのに、なぜ今、扉を開かないのですか。それでは自由民主主義が入って来られません。自由民主主義を早く回復させたところで絶対に混乱など起こるはずがありません。自由党16李承晩政権時の与党の時に混乱が起きたのは、自由民主主義のせいではありません。自由民主主義に反した不正選挙を行なったから混乱が起きたのです。共和党17朴正煕政権時の与党政権になってからは、国民を愚弄する疑獄事件のせいで混乱が起きたのであって、自由民主主義によって混乱が起きたのではありません。
もちろん、あまりにも急激な変化がやって来るのは問題ですが、三~四ヶ月、あるいは五~六ヶ月もあれば十分であり、一年から一年半も引っ張る理由は何もないでしょう。早急に民主主義回復をせずに何度も引き延ばせば、かえって来年の3月か4月頃には間違いなく民主主義回復運動が激化するでしょう。そうなれば、手の施しようがない事態に陥ります。今、核心がありません。政府に統制力がなく、国民には自制心がありません。このような状態で大きな事態が起こると、どうなるか分かりません。私はそのために、そうなってしまわないように要因を前もって取り除くよう勧告を致したい所存です。
また私は、大韓民国立法府に申し上げたい。真正なる民意を代弁する国会議員であれば、国民がどれほど自由民主主義を渇望しているか把握しているのであれば、国会で10.26革命の支持を決議しなければならないと考えます。そして一日も早く自由民主主義が回復しなければならないと考えます。もし、そうせずに自由民主主義が回復した時、大韓民国の国会議員たちは何をしたのかと問いたいです。その間に緊急措置9号の解除を決議しましたが、地域的なものに過ぎません。さらに根本的なことは自由民主主義回復を決議することです。それが尚一層のこと重要であると考えます。
今すべてのことを諦念し、静かに目を閉じながらも懸念するのは、私が決行した革命によって、この国が混乱し、国家までも揺るがす要因を引き起こしてしまったかもしれないということです。そうなってしまうのではないかと、とても惧れています。私はこの期に及んでも、崔大統領に「感傷に囚われないで、政治は現実であり冷酷なものでもありますから、私への憎悪を抑えて、私を釈放し、一緒に革命課業を遂行し、核心勢力を作って国家の将来を盤石なものにしましょう」と申し上げたいのです。そうは言っても、私のこういった話が、今現在の雰囲気では受け入れられるはずもないと思いますが、真正なる国の将来を憂えるならば、我々は感情を超越して理性に立ち返り、政治の現実を冷静に捉え、展望を正確に判断しなければなりません。一時的な感情や感傷に囚われて、国事を誤ることがあってはならないと考えます。
審判長どの、審判官どの。連日続く裁判にお疲れのことと存じます。また今日、私の長々とした話を傾聴してくださったこと、最後にこの世を去ったとしても、皆さまに対する感謝は忘れません。私は今日最後に、この国に自由民主主義を回復させ、二十年から二十五年は早めたという自負心、誰に何と言われようとも変えられない自負心を持っています。何卒我が大韓民国に自由民主主義万々歳と言えるよう、また10月26日民主回復国民革命万々歳と言えるように祈願いたします。
とはいえ、この世を早く去って、自由民主主義がこの国に満ちるところを見ることができないまま逝くことは心残りではあります。けれども既に全てが約束されているので、私が見届けられなくとも、間違いなく実現するので、私は笑って逝くことができます。何卒、審判長どのにおかれましては、信念を持って審判し、適切な刑罰を下していただくことを望みます。
最後に、審判長どのにお願いしたいことは、たった今ここに出て来て、全ての最終陳述を行ないましたが、皆、羊のように優しく純粋な人たち18以下、金載圭の部下たちを指して話している。です。私の立場としては革命を行なったのですが、彼らの立場にしてみれば、ただひたすら素直に、私の命令に徹頭徹尾従ったがために結果として罪を犯してしまったのです。ですから、全ての原因は私にあります。
多くの人間を犠牲にして法の力を示せるとは思えないのです。この国の中央情報部長にまでなった私一人が全責任を負って犠牲になれば十分に見合うものと考えます。従って、私には極刑を下し、残りの人たちは極刑だけは免じていただきたい。
特に前回も申し上げましたが、朴大領19中央情報部長随行秘書官だった朴興柱を指すの場合は現役軍人であるために単審20現役軍人であるために、控訴が認められず、一審の判決で裁判が終了する。であります。審判長どのの判決が即、朴大領への最後の決定となります。非常に着実な人で、家庭的で、模範的で、潔癖な人です。青雲の夢を持って士官学校に志望し、そして今、先頭に登って来た大領です。もちろん軍ではもう奉仕できませんが、余生を社会でさらに奉仕できるように極刑だけは免じてくださることを丁重にお願い申し上げます。支離滅裂な話を長々としてしまい、申し訳ありません。これにて終わります。ありがとうございました。
原文資料
- 김재홍『박정희의 유산』도서출판 푸른숲 1998年