金載圭は断じて愚かな奴ではない
金載圭がなぜ金室長に嘘をついたと考えるのですか?
そうですね……私は金載圭が嘘をついたとは思ってません。当時の、彼の態度や顔の表情などを見て実際にそう思うのですよ。
金載圭は、その会話のすぐ後に車智澈を罵り始めました。「車智澈、こいつはわざとやってるんじゃないのか」と。
今でも金載圭が事前に計画した犯行ではないと信じているのですか?
もちろんです。私は金載圭をよく知っているが、そんな間の抜けた人間ではありません。事を起こすつもりなら前もって入念に準備をしたはずです。情報部長であればできることなんです。
計画的犯行であれば、事を起こした後であんな大雑把な行動をとりますか? 現場を放置したままにしますか? 保安維持が最優先だというのに現場を放置して、慌てたあまり上着もろくに着ないで、靴もちぐはぐに履いて1金載圭は靴を履かず裸足のまま出て行った飛び出して行ったじゃないですか。
決定的な証拠に、どうして何の準備もなく陸軍本部に車を行かせたのかということです。あの時中央情報部に車を走らせれば、恐らく歴史は大きく変わったでしょう。
金載圭が、性格的に異常があるとか、激情を抑えられずに衝動的に暴力行為に出るところを過去に目撃したことがありますか? あるいは精神科で治療を受けるといった、そのような悩みを打ち明けられたことはありますか?
聞いたことがありません。
車智澈警護室長の越権行為について大統領に建議したことがあったそうですが。
わざわざ建議したわけではなく、他の話のついでに、大統領に「警護室長が政治問題に過度に関わっているようですが御存知ですか」と話したことがあります。
その時の大統領の反応はどうでしたか。
「車智澈は国会議員を務めていたので政治についてはよく知っている」とおっしゃっていました。それは「君(金桂元)は政治について分からないのだから関わるな」という意味に取れました。そう言われてしまうと、私にはなす術がありませんでした。
私は当時、車智澈と金載圭のポストを変えるように建議しようとしたんです。そうすれば歴史が変わったかもしれないのに……悔やんでも悔やみきれません。
建議を実際に行なったんですか?
その日(10月26日)、行事から帰って来たら報告するつもりでした。
朴升圭民情首席にも話したことがあります。朴首席が(大統領の)家族の動向を毎週定期的に報告するので、そういった建議もついでにしてくれるように頼みました。「私の口からも言っておくので、君の方でも頼む」と。それなのにその日の晩に事が起こってしまった。
朴正熙大統領は、いつ亡くなったのですか?
私の膝の上で亡くなったのではないでしょうか。金載圭が行ってしまった後すぐに朴大統領を車で国軍ソウル地区病院に搬送しましたが、その車の中で亡くなったようです。
後になって分かったのですが、車を運転していたのが専属の運転士ではなく、中央情報部要員の柳成玉でした。そのため運転が非常に不慣れで随分遅れてしまったことを覚えています。
その時の、病院へ搬送するまでの道のりは論議の対象にもなった。金桂元室長は逮捕されて取り調べを受ける際、青瓦臺の表通りを行かずに中央庁へ戻ったことが意図的に時間を長引かせるための手段だったのではないかと捜査官たちから責められたのだ。
青瓦臺の表通りには検問所が二ヶ所あるのです。そちらに行ったとしたら検問の兵士に事情をいちいち説明しなければならなくなる。そんな時間が何処にありますか。状況を知らないからそんなことが言えるんですよ。
亡くなる前に大統領は何のお言葉も無かったのですか?
意識が無かったようです。「ウン、ウン」という呻き声が、わずかに聞こえたような気がします。
獄中にいる時や出獄した後に、その当時の状況を何度かじっくりと思い出してみて感慨にふけることはありませんか?
いいえ、わざと考えないようにしました。私にとってはつらいだけの思い出なんです。
(事件後に)その場所に行ったことはありますよ。現場検証の時ですがね。でも酷くて見ることもできなかった。それでもね、なぜか突然ふと思い出してしまう時があるんです。その時は「ああ、本当にあんな修羅場で生き残ったんだなぁ」と思いますよ。
大統領を病院に搬送して青瓦臺に戻って来た金桂元秘書室長は、李在田警護室次長を呼んで警護室を指揮するように指示したが、大統領と警護室長が金載圭の銃弾によって死亡したということまでは話さなかった。また、緊急招集によって青瓦臺に駆けつけた秘書官や長官たちにも、大統領閣下に”有故2有事。事故があったという意味”ということを明らかにしただけで、事件の真相については口を閉ざしていた。そのせいで金室長は、金載圭が要求した保安維持に協力したという共謀容疑を掛けられた。
特に具滋春内務長官と金致烈法務長官からは大統領の安否を尋ねられたが、結局治安維持を要請する以外には答えなかった。
これについて金室長は、まず最初に青瓦臺に駆けつけた崔圭夏総理に全てを報告し「保安の維持が必要である」と建議した後だったので、大統領に起きた出来事を自分から明らかにできない状況だったと釈明している。
特に警護室の頭領である警護室長が情報部長の手に掛かって死んだなどということが警護室に知られれば、警護室と中央情報部の武力衝突にもなりかねない状況が続いていた。ソウル一帯が戦場と化すかもしれない上、金載圭の行方も分からなくなり、下手に兵力動員などはできなかったという。これが、金載圭と鄭昇和総長が宮井洞を去った後に、なぜすぐに武力動員して金載圭を逮捕させなかったのかという疑問に対する金桂元室長の釈明である。
交錯した証言、そして崔圭夏のミステリー
金室長が有罪判決を受けたのは、当時の崔圭夏総理の証言が決定的だったといいます。あの時、崔総理に何と報告したのですか?
金載圭と警護室長が争って、閣下が金載圭の”誤って撃った”銃弾を受けてお亡くなりになったと報告しました。その時は金載圭が故意に大統領を殺害したとは考えられなかったのです。
また「大統領が”有故”ですから、これからは総理が権限代行(この言葉をそのまま使ったかどうか定かではないが、そのような趣旨のことを話した)ですから、秘書室長の私に命令を下してください」とも言ったと思います。けれども崔総理は何の措置も取り行ないませんでした。
崔代行に金載圭が犯人であることを釘を刺して報告したのですか?
犯人であることを強調はしなかったが、金載圭の銃弾で閣下が亡くなったという点は明らかにしたと思います。
のちの裁判で崔圭夏元大統領はどのように証言したのですか?
書面で「金桂元が虚偽の報告をした」と陳述したそうです。
原文
- 『시사월간 WIN』월간중앙 通巻42号 1998年11月号