『WIN』金桂元インタビュー(5)

合同捜査本部で偽証を強要される

 崔圭夏チェギュハ総理は合同捜査本部参考人陳述書において、金桂元キムゲウォン室長が「大統領が危篤だ」と話し、「車智澈チャジチョル金載圭キムジェギュが口論の末に銃撃戦をして、つい……」と言いながら言葉を詰まらせた、と証言した。
 つまり、大統領が”金載圭の銃弾によって死んだ”ということは確かに聞いてないという意味になる。当時の大統領権限代行のこのような陳述は、金桂元室長が金載圭の犯行を隠蔽しようとした決定的な証拠となる。
 逆に金室長の主張が事実ならば、崔圭夏大統領がなぜ金載圭の犯行を知りながら何の措置も取り行なわなかったのか気に掛かる。5.1711980年5月17日、戒厳司令部が非常戒厳令拡大措置を行なった。全斗煥率いる新軍部による政権掌握につながった。以降、新軍部2全斗煥ら陸軍士官学校11期生を中心とした勢力が崔圭夏総理の弱点を突き、大統領になった彼を下野させたという主張が出てくる背景には、こういった崔総理の態度にあった。この件に関して、崔圭夏氏は口を堅く閉ざしている。10.26事件の謎の一つである。

崔圭夏総理に法廷で陳述してくれるように頼まなかったんですか?

金桂元
金桂元

それはしましたよ。弁護士を通して「事実だけを証言してください」と要請しました。弁護士が検察官立会いのもと、崔総理の所に直接訪ねて行った筈です。でも崔総理は会ってくれずに秘書を通じて、そういった内容の文書を提出しました。

崔総理はなぜ事実と異なる証言をしたのでしょうか?

金桂元
金桂元

当時の状況からはやむを得なかったのでしょう。合同捜査本部によって、裁判の前にそういう証言をするように圧力を掛けられたのだと思います。

ではなぜ今になっても証言を拒否しているのですか? 12.12粛軍クーデターや光州民主化抗争の裁判など、いくらでも真実を話す機会があったはずなのに、ことごとく崔総理は証言を回避している。それはどうしてなんですか?

金桂元
金桂元

わかりません。元来の両班ヤンバン気質3官僚的性質がそうさせるのか、危機管理能力が足りないだけなのか、よく分かりません。とにかく、結果的には虚偽の報告(金載圭による意図的な殺害であったが、誤って撃ったと報告した)になってしまったが、当時の私としては見たままに報告したつもりだった。それなのに、なぜその通りに(崔圭夏総理が)証言しなかったのか分かりません。

どうして青瓦臺チョンワデから国防部へ向かったのですか?

金桂元
金桂元

何度も青瓦臺に来いと言ったが、行けないと言うのです。金載圭は、ここには国防部長官も参謀総長もいるのだから総理も連れて来るように言っていました。そこで総理に報告したところ、「ああ、だったらそちらに行きましょう」と総理が言ったのです。

金載圭が事態を完全に掌握した(クーデターに成功した)と考えたのではないですか?

金桂元
金桂元

実際そのように考えました。私自身もそちら(国防部)に行く方が何とかカタをつけられるだろうと思ったのです。閣僚の中でも当時最も重要なポストである国防長官が向こうにいて、各軍の首脳部も集まっているのだから行かねば何も解決しないと思いました。

 しかし朴大統領に何かあった瞬間に崔圭夏総理は憲法上の大統領権限代行である。大統領と秘書室長がクーデターという状況下で警護もつけず、これから起きるであろう事態について何の対策もなく、来いと言われるがままにクーデター本部とも言える陸軍本部に向かったことをどのように解釈したら良いのだろうか。自分の職務に対する自覚というものが無いようだ。クーデターが起ころうとする状況でありながら、大統領権限代行と秘書室長はそれに従ってしまったのだ。

陸軍本部では、いつ金載圭が犯人であることを知らせたのですか?

金桂元
金桂元

国防長官室に総理以下、長官たちが集まっていました。金載圭は私だけを睨みつけているようでした。私は彼が銃を携帯しているのが気がかりで焦っていました。ところが国防長官や参謀総長に打ち明けようにも、そういった余裕がありませんでした。そんな中で金載圭が部屋を出て行ったので、その隙に私は国防長官に話があるから何処か人気のない部屋は無いかと尋ねました。副官が「私の部屋が空いていて静かです」と言って案内してくれた。その時、鄭昇和チョンスンファ総長も隣りにいました。

部屋を移動して私は「犯人は金載圭です。閣下は金載圭の銃弾によってお亡くなりになったのです。あいつを逮捕しなければなりませんが、私のことをマークしているようなので、どうしたら良いでしょう」と話しました。そして「金載圭は拳銃を携帯しているから用心しなければなりません」という話までしました。

その話が終わるや否や金載圭が突然入って来たのです。しまった、ひょっとしたら我々の話を聞いていたかもしれないと思って「戒厳司令部軍人らの給食の話をしていたところだ」とごまかして、彼を安心させました。

 金載圭がその時何処に行っていたのかといえば、彼は手洗に入っていた。戻って来てみると、金桂元室長が見当たらないので不安になり、彼を捜し回った。誰かが金桂元室長は外に出て行ったと言うので、あちらこちら捜し回ったところ、ばったり例の部屋で出くわしたのだ。金載圭が金桂元を監視していた証である。

 金桂元室長は、陸軍本部に来てから金載圭が犯人であることを話すまでの約2時間あまりがとても長く感じられたという。崔圭夏総理に話したにも関わらず、何らの措置も取り行なってもらえないので、誰かに話さなければならないという思いで切迫していたのだ。しかし下手に話したら銃を持った金載圭に何をされるかわからない。
 結局27日明け方、金載圭は鄭昇和総長の指示で憲兵隊要員らに逮捕された。

金桂元
金桂元

たった今思い出したのだが、私は金載圭が逮捕されてすぐ、持っていた拳銃と実弾を鄭総長に預けたんです。それを見ても私が金載圭と事前謀議したのではないことが分かるでしょう。

その拳銃はいつから持っていたんですか?

金桂元
金桂元

その銃は晩餐会場で、私が金載圭の部下である李基柱イギジュから奪ったものでした。私は拳銃を持っているが、普段は持って歩かない。机の引出しに入れてしまってある。ところが金載圭から陸軍本部へ呼ばれた時、銃を持って行った方が良いという気がしたんです。金載圭が武装していることは知っていましたからね。

 興味深いのは、偶然にも金室長が持っていた弾丸が、当時警護室に勤めていた全斗煥の実弟・全敬煥チョンギョンファン係長からもらったものだという点だ。金室長は平素、弾丸を所持していなかった。その時、弾丸を入手しようと出て行ったところ、警護員だった全敬煥と戸口の前で出くわして、弾丸を何発か分けてもらったのだという。後になって全敬煥係長は金室長に弾丸を返してくれるように要請し、鄭総長に任せておいたという話をしたようだ。

合同捜査本部側が金室長を共謀容疑で逮捕拘束し、裁判に掛けたのは何のためだと考えますか?

金桂元
金桂元

それは目的を達成するのに私を障害物とみなしたからでしょう。

なぜ障害物になるのですか? 具体的に話してください。

金桂元
金桂元

単純に考えても、全斗煥は私が陸軍参謀総長になった直後に星を付けた4将軍になったという意味ばかりで、遥かに後輩です。星を付けるや私のもとに挨拶に駆けつけて来ました。あらゆる面で私が大先輩であるからに違いありません。そんな先輩を差し置いて権力を握るわけにはいかない。彼ら(新軍部は)は、単なる殺人事件を過大解釈して計画的内乱事件にしてしまった。そうすれば既存の勢力を排除する名分が立つ。そのためには私を共謀者に仕立てる必要があったのです。

西氷庫分室で聞いた国葬弔砲

それから、いつごろ合同捜査本部に連行されたのですか?

金桂元
金桂元

その翌日(27日)だったと思います。秘書室にいた誰かが私に「秘書室長も難しいお立場でいらっしゃるから、暫くの間は御自宅におられる方が良いでしょう」と言うので、当時犯行現場にいた私が調査されることもあり得ると考えました。そこで、崔大統領代行の秘書室長である崔侊洙チェグァンスに、「私は暫くのあいだ家にいるので、君が秘書室長の代行を務めた方が良いでしょう。何かあれば連絡しなさい」と話しました。

崔圭夏大統領代行には直接報告したのですか?

金桂元
金桂元

私から直接話しました。

その晩総理公館を訪ねて行って、事件現場に私がいたために事後処理が厄介なことになっているので当分は自宅にいると話し、崔代行からも「そうしてください」と言われました。私は「自宅にいても閣下の葬式にはちゃんと出席できるようにしてください」と強くお願いしました。

ところが、その翌日(29日)の深夜2時頃合同捜査本部に突如連行されました。

連行される時、共謀容疑を掛けられるだろうとは予想できませんでしたか?

金桂元
金桂元

まったくそんなことは考えられませんでした。調査を受けることになるだろうとは考えましたが、そのような容疑を持たれるなんて考えもしませんでした。それを思うと私は本当にバカ同然です。家内もそうで……。

連行されて特に記憶に残っていることはないですか?

金桂元
金桂元

取り調べを受けた保安司西氷庫ソビンゴ分室の窓から国立墓地がはっきり見えました。陸英修ユクヨンス女史の墓が見えて、大統領の埋葬地を選定する作業現場が見えました。

葬儀の日、私は弔砲を撃つ音を取調べ室で聞きました。

どのような気持ちになりましたか?

金桂元
金桂元

何とも言えない複雑な気持ちでしたよ。

調査で不当な待遇を受けたと思いますか?

金桂元
金桂元

基本的には私が共謀者であるという前提で調査と裁判が為されました。作られた筋書き通りに、裁判が終わったころには私は共犯者に仕立て上げられていました。

捜査過程で自身の立場をなぜ強力に主張しなかったのですか?

金桂元
金桂元

それができる雰囲気ではありませんでした。

私は法廷に持ち込まれれば、状況を知る人々が正しく判断してくれるだろうと考えていました。ところが裁判になっても全くそうではありませんでした。

裁判過程が公正ではなかったということですか?

金桂元
金桂元

公正でないどころか、判決はもちろんのこと、裁判の進行が逐一干渉されているようでした。

なぜそんなに休廷が多いのか。弁護士による異議申請があるたびに休廷しては、いちいち裁判官たちが行ったり来たりして上の指示を仰いでいるようでした。

なぜもう少し積極的に自身を弁護しなかったのですか?

金桂元
金桂元

当時の状況はどんなに私が真実を話しても信じてくれる雰囲気ではありませんでした。捜査から裁判に至るまで私の陳述は徹底的に無視されるか歪曲されたりしました。

大統領にお仕えする立場にありながら、大統領が亡くなったのに自分だけ生き長らえて何を話すことがありますか。倫理上話せる立場にないと私も考えたのです。君主制の時分であったら自決せねばならない立場です。

しかし今は封建社会ではないのですから、大統領にお仕えし損ねたからといって死刑宣告や無期懲役を受けなければならないということはないでしょう。命を投げ出せなかったからといって死刑判決を下すことは難しいのではないですか。

無論、決死の覚悟で大統領をお助けできなかったことについては今でも自分を恨み、哀しんでいます。しかし、だからといって私は罪人ではないのです。新軍部は私を罪人に仕立て上げてしまった。

裁判過程でも不当な待遇をよく受けたのですか?

金桂元
金桂元

話し切れないほどですよ。

軍法会議に立った裁判官たちも私が知っている人間でした。個人的に親しくしていた人たちも一部おりました。彼らが法廷で質問する態度を見て、とても困惑しました。実際、開廷前にどれくらい新軍部側から注文を多く受けたのか。事前教育も指示も受けたのでしょうね。裁判がいかに速戦速決で進められたか……。


原文

  • 『시사월간 WIN』월간중앙 通巻42号 1998年11月号