『WIN』金桂元インタビュー(7)

全斗煥との悪縁

新軍部の親玉である全斗煥チョンドゥファン(元)大統領とは、よく知っている間柄だったんですか?

金桂元
金桂元

よく知っていますよ。

個人的な縁もいくつかあるのですが話したくありません。

どちらにしてもヤツが私にしたことは本当に理解に苦しみます。

どのような縁だったのですか?

金桂元
金桂元

悪縁です。

基本的にあの子たち(新軍部主体勢力)は私を快く思っていません。

参謀総長時代にこんなことがありました。全斗煥たちは4年制陸軍士官学校1期生です。だからその前までの国防警備隊出身である陸士の先輩を“先輩”と見なさず無視したりしていました。彼らのプライドが高過ぎて、上司の命令には絶対服従という軍内の規律には大きな問題となったんです。そこで私が陸士の編成を変え、国防警備隊時代の陸士を1期から10期までとし、正規の陸士出身者は11期からにしました。そういった措置を行なってから数日後、陸士の卒業を控えている時に校長から電話が掛かって来ました。その措置に陸士たちが反発して、卒業式の大統領の前での閲兵を拒否するらしいと言うのです。私は頭に来て、校長に万一そんな事態になったら陸軍士官学校を廃校にすると声を大にしました。

実際に私は朴大統領を訪ねた時に、状況を報告した上で、陸士たちがこれを受け入れなかったら3年制の陸士を創り直した方が良いと建議したのです。大統領は「うん、それは総長の言うことが正しい。根があればこそ樹は真っ直ぐに立つものだ」と話され、正規陸士たちの反抗を一蹴しました。

 こういった軍首脳部の方針が陸士たちに伝えられると、彼らはこれを受け入れ、憂慮された閲兵拒否騒動は起こらなかった。しかし11期以降の正規陸士出身者たちの集団行動は、その後もたびたび軍内の序列を脅かす要因になった。結果的に、12.12事態で軍部の下剋上は最高潮に達したというのが金桂元キムゲウォン氏の見方だ。

金桂元
金桂元

11期生以降は先輩のことを実に軽視していました。軍内の油を売って金儲けをする集団だと言って先輩を敬遠し、腐敗した軍人と見なしていました。

しかし考えてごらんなさい。当時の軍事予算というものがどれほど不足していたか。兵士1人当たりの一日の食費が南大門市場でリンゴ1個の3分の1の金額だったんです。当時の軍の装備やガソリンは軍事援助品目だったので、これらを売ってでも手を尽くして兵隊を食べさせることは部隊長に課せられた任務だったんです。こうやって塩汁も食べさせてたんですよ。

そういう事情を知らないで、軍需品のガソリンを売って部隊長たちはみな金儲けをしているものと一般的には思われていたのです。

解けない謎・金載圭の犯行動機

金載圭キムジェギュに対してはどのように考えていますか?

金桂元
金桂元

彼を恨むわけではありませんが、最終的には納得しがたい行動によって世間を騒がせたことは実に間違っていると思います。

いかなる理由であれ国家元首を殺害したことは容認できない犯罪です。当然ながら処罰されなければなりません。それなのに革命だの何だのと言って自分の行動を合理化しようとした。また、彼の行動を大いなる義挙であるかのように美化しようとする人たちまで現れた。

金載圭がなぜあんなことをしたのか、今でも理解できません。

金載圭が車智澈チャジチョルを殺害したことは理解できますが、なぜ大統領にまで銃を向けたのかが疑問です。衝動的な怒りで大統領を殺害したと言われても、動機として納得できません。他に犯行動機があるのではないでしょうか。どのように考えますか?

金桂元
金桂元

私は当時、金載圭が誤って大統領を撃ったのだと思いました。それで自首させようとしたのです。

そんなことをしたのだから死刑になっても当然ですが、自首はしなければならないと説得する考えでした。個人的な情もありますし、当然死刑だったとしても刑を甘んじて受けるだろうと思っていました。

ところが(金載圭は)革命委員会を設置しなければならないと言い出したので、「ははぁ、こいつは考えが変わったのか」と察して、自首させることを諦めて逮捕するべきだと考えたのです。

それならば金載圭が、事前にある意図を持って朴大統領まで殺害したということではないですか?

金桂元
金桂元

そうは思いません。結局、事を起こしておいてから収拾しようとして悪知恵を働かせたのではないですか。

 10.26事件最大のミステリーは恐らく金載圭の犯行動機と背後関係の有無であろう。金載圭は犯行直前に部下に計画を知らせたこと以外には、他の誰に対しても謀議や打ち明けるといった形跡を見せていない。
 この点について金載圭は、法廷陳述を通して「李朝時代から歴史的に見て、このような挙事は極秘でなければ成功した例がないので、単独で犯行に臨むことを決意した」と明かした。

 金載圭は維新初期から何度か朴大統領の排除計画を立てたが失敗したと話した。しかしこの件については、彼自身の陳述以外には立証するものがない。しかも事件後の彼のあたふたとした行動を見れば、事後の計画は事実上無かった模様である。
 そのために、金載圭には背後があるのではないかという主張が説得力を増し、常に言われ続けている。その“背後”の主力がアメリカ合衆国である。

金載圭が何の準備もなく大統領を殺害したのは、彼がどこかで何かを言い含められたからではないかと考えられます。背後に米国の情報機関が介入しているのではないかという説が絶えず持ち上がっていますが、どのように考えますか?

金桂元
金桂元

そうは思いません。事大主義的な発想ですね。

韓国の人々は、米国は――特に米国の情報機関は何でもできると思っていますが、そんなことはありえません。私も情報部長を務めたことがありますけども、限度というものがありますよ。

当時の状況が、結果的に米国に都合良くなったものだから、そんな推測をしているんでしょうね。

秘書室長としてよく御存知でしょうが、朴政権がさまざまな件で当時米国と対立していましたよね?

金桂元
金桂元

それは確かに。カーター政権との関係は最悪の状況でした。

カーターも朴大統領を嫌っていたし、朴大統領も「カーターの野郎」呼ばわりでした。

朴大統領、最後まで核開発を推進

特に核兵器開発と防衛産業の推進についてアメリカとの確執が多かったのではないですか?

金桂元
金桂元

そうです。実際に防衛産業国産化計画は朴大統領があまりにも強引に推進したという気がします。

武器をあちこちで買いつけてくることは戦略的に問題があると私は思います。有事の際、補給に問題があるからです。それに国産化が必ずしも安上がりであるとは限りません。

朴大統領が何故防衛産業の国産化にそれほどまでに執着したと思いますか?

金桂元
金桂元

おそらく政治目的でしょう。国民に自主国防の意志を示すためだと思います。

大企業を育てようという考えもあったのではないでしょうか。国際的な競争力を持つには重化学と防衛産業は必要だからです。

核兵器開発計画について何か聞いたことはありますか?

金桂元
金桂元

私の担当分野ではないので分かりません。

ただ、あの方のことだから間違いなく推進していたでしょう。

金炯旭キムヒョンウク失踪事件が起こったのは10月の始め頃です。当時の状況からすると、金載圭がこの仕事を受け持って処理したという可能性が高いのですが、事件について聞いたことがありますか?

金桂元
金桂元

その件については金載圭から聞いたことがあります。

その年の夏だったと思いますが、金炯旭が日本で回顧録を出版すると言って50万ドルを要求してきたので、30万ドルで解決しようとしたが失敗して不満を洩らしていたことがあります。

青瓦臺チョンワデの地下室に金炯旭が拉致されて、朴大統領の手で直接射殺されたという流言蜚語が一般に出回っていますが。

金桂元
金桂元

出所してから私にも周辺の人々がそんな話をしてきて、事実かどうか訊いてきました。

私が知っている限り青瓦臺にそんな場所はありません。地下には状況室があるだけです。

一説には青瓦臺の地下には北岳山プガクサンの下を通って孝子洞ヒョジャドンまで行く通路があると言われていますが、そんなものはありません。

そういう通路を普通の工事で作れますか。全てヒマ人が作り出したデマです。

10.26が起こる一週間前から金室長が身辺警護を要請し、警護員を伴って出入りしていたというのが当時の秘書官たちの証言です。事前に何らかの気配を感じ取ったからではないのですか?

金桂元
金桂元

(最初は記憶にないと言っていたが)あー、そういうことがあったような気がしますね、ええ。車智澈が身辺警護だと騒いでいましたので。そのせいなのか、誰かが私にも警護を受けた方が良いという趣旨の話をして来ました。それで警護を受けたんじゃないですかね。

 金室長は二度目のインタビューで、この部分についてより具体的に話した。

金桂元
金桂元

警察の警護を受けたのだが、我家の部屋を一つ貸して二人の警護員が寝泊りしていたようです。特別な理由はなくて、恐らく下から建議を受けたからそういうことになったんでしょう。

当時、警護室と秘書室の職員たちはいちいち競争心を抱いていたのです。車智澈警護室長は出入りする時に警護員を連れて大げさに行き来したりしていました。それを見て下で建議したのではないかと思います。

当時、状況が状況であるだけに特別な事情があったのではないですか。何か身の危険を感じてそうしたのではないですか?

金桂元
金桂元

いいえ。特にその件で思い出すことはないですね。

酒席で朴大統領が金室長のことを「都承旨トスンジ1李朝時代の官職名。承政院の長。正三位」と呼び、金載圭のことは「捕盗大将ポドテジャン2李朝時代の犯罪者を取り締まる官職名」と呼んだりしたのは事実ですか?

金桂元
金桂元

酔いが回ってくるとそんな風に呼んだりしていました。どうやって説明したらいいか分かりませんが、酒の席では子供のように遊んでました。ややこしい政治の話なんかほとんどしませんでしたよ。あの日はいつもと違ってそうなってしまいましたが、普段は政治の話なんかほとんどしません。大統領は、ある時にはふざけて「我々の官服3官吏の制服。李朝時代の韓服を指すものと思われるを一着ずつ揃えて、それを着て酒を一度飲んでみるか」などと話していたこともあります。

原文

  • 『시사월간 WIN』월간중앙 通巻42号 1998年11月1日