『月刊朝鮮』金桂元インタビュー

朴正煕の最期を看取った金桂元、再び語る

 金桂元キムゲウォンは、2005年末にも『月刊朝鮮』の趙甲濟チョガプチェ記者からインタビューを受けている。その内容は同誌2月号にて公開された。

 韓国内で林常樹イムサンス監督の『그때 그 사람들クテクサラムドゥル(邦題:ユゴ 大統領有故)』が公開され、再び10.26事件が注目されていた頃である。
 朴正煕パクチョンヒ大統領の子息・朴志晩パクチマンが上映禁止を求め、朴正煕の実際の葬儀映像部分が黒塗りとなった。
 問題はそれだけではなかった。映画内で沈守峰シムスボンに該当する歌手1映画内ではキム部長ら一部を除き、ほとんどの人物が仮名、あるいは役名が無かった。が晩餐の席で美空ひばりの『悲しい酒』と都はるみの『北の宿から』を歌ったことで、沈守峰本人が、宮井洞クンジョンドン事件当時にその歌は歌っていないことを釈明しなければならない羽目になった。「朴正煕シンドローム」という再評価が起こる一方で、朴正煕は「親日派チニルパ」だという批判も起こっていたため、誤解を招く表現は当事者が公的に否定する必要があったのだ。
 『月刊朝鮮』のインタビューで、映画を視たか尋ねられると、金桂元は「昔のことを思い出したくない」という理由で、15分程度で視るのをやめてしまったと答えた。

 以下、同誌のインタビューから10.26事件に関する部分を抜粋し要約して紹介する。地の文は管理者が記事内容を要約し、付記したもの。

大統領に会えない情報部長

1979年6月から9月までの面談日誌を見ると、(朴大統領は)ほとんど車智澈チャジチョル警護室長と単独で会うことが多いですね。車室長が金載圭キムジェギュ情報部長よりも先に会っていることも多いです。

金桂元
金桂元

特別な理由はなく、警護関係で車智澈が先に報告していたのです。警護室長は秘書室の許可が無くても大統領に会うことができますから。

大統領は金載圭情報部長よりも車智澈警護室長に会った回数が多いですね。

金桂元
金桂元

車智澈が制限していたからですよ。

情報部長が儀典首席や秘書室長ではなく、警護室長から許可を得て大統領に会うというのはおかしくないですか?

金桂元
金桂元

大統領の御意思だからね。私も「それは良くない」と話しました。

心苦しいので、金載圭に、大統領に会いたいなら私を訪ねてくるように言いましたよ。

 金桂元は第5代韓国中央情報部長を務めたことがあったが、その当時は独断で大統領に会うことができていた。ところが、青瓦臺チョンワデ秘書室長に就任した時には、情報部長は警護室長の許可無しに大統領に会うことができなくなっていたという。
 晩年の朴正熙は、あらゆることを車智澈に依存する傾向にあったようだ。

 前任の秘書室長・李厚洛イフラク金正濂キムジョンニョムと異なり、金桂元は実務よりも、朴正煕の個人的な話し相手という役割を求められての採用だった。

 1979年10月26日の朴正煕大統領最後の公務について、金桂元は新たな証言を行なった。

 この日、金載圭は大統領の公務に付き従う意思を見せたが、車智澈警護室長から拒絶されてしまい、ヘリコプターに同乗できず、挿橋川サプキョチョンの防波堤竣工式に出席できなかった。
 趙甲濟記者による朴正煕の伝記では、金載圭は挿橋川の防波堤竣工式だけでなく、唐津タンジンにあるKBS対北放送送信所の開所式にも出席できなかったことになっている。10.26事件を描いた多くの記録物や創作物でも同様である。しかし金桂元によると、金載圭はKBS送信所の開所式には出席していたという。

その席で確かに金載圭を見かけたのですか? 勘違いされているのではなく?

金桂元
金桂元

いいえ、確かに会いました。金載圭の表情が浮かなかった。ヘリに乗れなかったからね。けれども彼と話ができる状況にはありませんでした。私は大統領に随行していたので。

 KBS送信所は中央情報部の管轄だった。金載圭はヘリコプターに同乗できなかったため、車で現地に向かったのだと金桂元は話した。

(車智澈に)クーデターを起こそうという考えはなかったと思いますか?

金桂元
金桂元

そうね……まぁ、ありましたよ。そう思ってる人は多かったですよ。

私もはじめのうちは、金載圭と争ってて、車智澈がやらかしはしないかと思ってましたからね。

車智澈がクーデターを起こせば、動員できる武力がありましたからね。
まず青瓦臺警護室と30団があるはず……

金桂元
金桂元

それ以外にも軍に腹心がいました。全斗煥チョンドゥファン将軍も……。ハナフェだか何だか知らんが、裏でカネでも出してたんじゃないですか。

 当時、警護室の作戦次長を務めたのがハナ会2全斗煥や盧泰愚ら陸軍士官学校11期生を中心とした軍内の私組織。12.12粛軍クーデターの原動力となった。の全斗煥や盧泰愚ノテウらだった。金桂元は7年半以上も台湾大使を務めていて、国内の事情に疎くなっていた。ハナ会の存在も知らなかったという。

 かつて金桂元は、軍人としては朴正煕よりも上官の立場にあった。朴正煕は金桂元の直属ではなかったが、砲兵学校の校長を金桂元の次に務めたのが彼だった。同じ慶尚北道キョンサンプクト出身でよしみがあった。

金載圭は自暴自棄になって発砲

 酌婦として呼ばれた女性二人は、酒席では歌が歌われ雰囲気は悪くなかったと話すが、金桂元の証言は異なる。
 彼はここでも、宮井洞事件当時、酒席で政治の話が上がるたびに金載圭情報部長が一方的に責められていたことを話した。金桂元が雰囲気を変えようとテレビを点けるなどしたが、政治の話になれば車智澈警護室長までもが煽り立てるため、朴大統領の機嫌は悪くなるばかりだった。

当時、法務長官だった金致烈キムチヨル氏が、10.26事件の数日前に大統領から二度呼び出されたそうです。「大統領が時局の話をしながら、自分を情報部長に内定しようとしていた。それで10月26日に発令が出ると知って待っていた」と言うのです。金載圭は自身が退くのを知って、その日に決行したのではないですか? 室長は金載圭に人事の話をされたのでしょうか?

金桂元
金桂元

そういった話はしていません。
内心、情報部長と警護室長を変えたいと思ったことはあります。機を見て朴大統領に提言しようと思ったことはあります。結局、機会はありませんでした。

金載圭に異動があるかもしれないと情報を与えた人はいなかったのでしょうか。

金桂元
金桂元

まぁ、そういった話は決まって予定通りに行かないもんですから。

異動があると感じたことは?

金桂元
金桂元

そんなことまで分かりませんね。

金載圭もその席が最後だと知って、弑害しいがいを考えたのではないですかね。

金桂元
金桂元

まったくそんな気配はありませんでした。金載圭が弑害やクーデターを計画していたら、私の意見を聞くくらいはしていたはず。お互い女の話だってしていたほどですから。

金載圭、李鍾贊イジョンチャン3軍人、政治家。1916年生。首都警備司令官、陸軍参謀総長、国防部長官を歴任した。金載圭が尊敬していた人物でもある。、朴大統領……私たちは本当に近い間柄なのです。

 金桂元は、政局の話題で朴大統領と車智澈に追い詰められて激昂した金載圭が偶発的に起こした事件であることを改めて主張した。
 最初から計画していたのであれば、金載圭が隣りの建物までわざわざ拳銃を取りに行くようなことはしないと言うのだ。

なぜ金載圭は大統領に発砲したと考えますか?

金桂元
金桂元

金載圭が車智澈を撃った瞬間に、「これで俺もしまいだ。どのみち車智澈を殺してしまったのだから、許されるはずがない」と思ったんでしょうね。

 金桂元はこの時のインタビューでも、大統領を撃った後に金載圭の銃が不発になったのは自分が金載圭の手を叩いたからだと主張した。

朴大統領は胸部に被弾して「私は大丈夫だ」と言われましたが、これは一緒にいた二人のお嬢さん(沈守峰と申才順シンジェスン)に逃げろという意味でしょうね。

金桂元
金桂元

と言うよりは、そんな状況にあっても女性たちが大統領を護ろうとするから「俺のことなんかあまり考えるな」という意味だと理解しました。

 朴正煕の体は斜めに倒れたが、金桂元は大統領が食卓の下に潜り込んだと思っていた。食卓の下は、足を伸ばせるように深く掘られており、朴大統領は「緊急の時はこうすればいい」と言って、そこに隠れてみせたことがあった。

金桂元
金桂元

大統領御自身が撃たれたという感覚がなかったのかもしれません。

痛みよりも、何と言いますか……精神的なショックが大きかったでしょう。

金室長が批判を受ける部分ですが、金載圭が銃を持って入って行った時に部屋の外にいましたよね。大統領の頭部に確認射殺する時です。中で大統領を保護しなければならないのに外におられました。

金桂元
金桂元

大統領が撃たれたかどうか、よく分からなかったのです。
倒れたところは見たような気がしますが、撃たれて倒れたと言うよりも食卓の下に潜り込まれたのかと思っていました。

金載圭が銃を持っていたから怖くて入れなかったのではないですか?

金桂元
金桂元

それもありますが……大統領が撃たれたなんて考えもしなかったのです。

 中央情報部員4のちに逮捕され、処刑された柳成玉が運転する車で、金桂元は大統領を自身の膝の上に寝かせて国軍ソウル地区病院に向かったが、病院に到着した時には大統領は既に絶命していたようだった。
 1987年に趙甲濟記者から取材を受けた時に、金桂元は「大統領の体がとても小さくて軽かった」と回顧していた。
 朴正熙の身長は164cm、金桂元の身長は162cmだった。

 金載圭は犯行後、鄭昇和チョンスンファ陸軍参謀総長と共に陸軍本部バンカーに向かった。金桂元は陸軍本部にいる金載圭から掛かってきた電話を受けた。

崔圭夏チェギュハ総理や何名かの長官たちに陸本に行こうと話したのは理解できません。金載圭が陸軍を掌握してクーデターを謀議しているという疑いは持てるのではないですか?
当時、崔圭夏総理はどうされたのでしょうか。

金桂元
金桂元

崔総理はじっと押し黙っていたかと思ったら、突然すっくと立ちあがって「行きましょう」と言いました。

その時は崔総理の判断が重要なのに、金載圭が犯人だと思っていたのなら、金載圭から陸本に来いと言われて、言われるがままに行くのはちょっと問題がありますよね。
金載圭が朴大統領を射殺したことを知っていたのではないですかね?

金桂元
金桂元

知っていたでしょうね。

知っていたのだから、金載圭が陸本に行ったということは常識的に考えれば軍を動員してクーデターを起こすだろうと見ることはできませんか?

金桂元
金桂元

金載圭にそのような能力があると思えません。
陸本に行ったからといって軍を掌握できなかったと思いますよ。

私から話せば心変わりするだろうと踏んでました。

 金桂元は、1998年『時事月刊WIN』のインタビューでは、「金載圭はそんなに間抜けな人間ではない。クーデターを起こすなら入念に計画を立てたはず」と話していたが、この時のインタビューでは、金載圭がクーデターを主導することは能力的に難しいと否定的に評した。

金室長から朴槿恵パククネ氏に、朴大統領が亡くなったことを伝えた時の反応はどのようなものでしたか?

金桂元
金桂元

朴槿恵に会うと涙が出てしまって言葉に詰まってしまったので、「大丈夫です。母の時もありましたから、おっしゃってください」と言われましたね。

朴槿恵氏はある程度、予測できていたのですね。

刑場に行く時に金桂元の房を見ていた金載圭

 金桂元は当時、朴大統領有故ユゴ5事件や事故に遭ったという意味を伝えながら、崔圭夏総理に保安維持の必要性だけを伝えて事件の真相については語らなかったために、金載圭との共犯容疑を掛けられ、逮捕された。
 そして、内乱目的殺人および内乱重要任務従事未遂罪で、死刑判決を受けた。

  1980年5月24日の明け方、金桂元は、刑場に連行される金載圭の最期の姿を目撃していた。

金桂元
金桂元

金載圭が処刑される日、私のへやをしばらく見ていました。

その時の、最期の表情はどうでしたか?

金桂元
金桂元

廊下が暗かったので表情まではよく見えませんでした。私の房の場所を知っていたので、ゆっくり歩いて、こちらを見ていました。

拘置所内で会ったことは?

金桂元
金桂元

ありませんよ。
看守も一人ずつ付いていましたからね。

 金桂元は、金載圭がその日に処刑されることを担当の看守から聞いていた。彼はその時には死刑を免れ、無期懲役に減刑されていた。

死刑囚とは、どのような心境なのでしょうか。

金桂元
金桂元

そうですね……考えることは一つでしたね。
「死ぬ時、自分の姿はどうなっているのだろうか。弾丸が自分の頭を貫くのか、それとも胸を貫くのか」と思っていましたね。

戦争を経験していたら6金桂元は軍人として朝鮮戦争を経験している、死に対する恐怖は少なくなるものかと……

金桂元
金桂元

死に対する恐怖は誰でも同じですよ。

 金桂元は、1982年5月1日に刑執行停止となり釈放された。しかし彼は釈放直前に、母・李一順イイルスンの訃報を聞くことになった。

 金桂元は、逮捕直後の取り調べについても話した。

金桂元
金桂元

直接的な拷問は受けませんでしたが、眠れませんでした。寝ると起こされるんです。
隣りの部屋から家内の声が聞こえました。それがとてもつらかったです。家内が拷問されることはなかったのですが……。

金載圭の姿を見ましたか?

金桂元
金桂元

見えなかったです。ただ、拷問を受ける物音は聞こえました。
悲鳴も聞こえてきて。

その時、(金載圭は)肝臓が良くなかったですよね。それが理由でまともに執務できないということはありましたか?

金桂元
金桂元

ええ、そういう話は多かったですね。顔も黒ずんで……

新民党全党大会での金載圭の対野党工作が失敗して、李哲承イチョルスンの代わりに金泳三キムヨンサムが総裁に当選しました。
その日の夕方に食事をしながら、全党大会の話題を出して、朴大統領が新聞紙を丸めて金載圭の頭を叩いて責めていたと聞きましたが……確かな話ではないですが。
実は車智澈も工作をしていましたよね。

金桂元
金桂元

ええ。私もなぜ朴大統領がそんなことをするのかと疑問に感じていました。工作を色々な人に任せて混乱が起きましたからね。二人(金載圭と車智澈)を通さずに、朴大統領が直接、野党政治家を呼びつけて工作を指示したこともあります。

全党大会以降、車智澈があからさまに金載圭を罵ったり、朴大統領までもが金載圭を無能と見なすのを感じましたか?

金桂元
金桂元

そこまでは感じませんでしたが……性格的にあの二人では上手く行かないだろうと。変えた方が良いとは思っていました。

早く変えておくべきでしたね……

金桂元
金桂元

二日遅かったですね。
挿橋川から戻って来たらすぐに言わなければならなかったのですが……。
青瓦臺議長7秘書室の首席秘書官を務めていた。崔侊洙チェグァンスには何度も話しましたよ。「私からも言うつもりだが、次回大統領に報告する時に君からも建議してくれ。二人は変えた方がいい」と話しました。
朴大統領は崔侊洙のことを信頼していたし、好きでしたからね。

大統領は金載圭に対して遠慮がなかった

この問題はやはり、朴大統領への接見権の管理がきちんとなされていなかったからでしょうね。早く情報部長を変えておくべきだったのではないですか。

金桂元
金桂元

朴大統領は二人に未練があってね。二人とも好きだったから。

朴大統領が金載圭のことを好きだった理由は何でしょう?

金桂元
金桂元

二人が同郷で、陸軍士官学校の同期生(2期)だったことと、初等学校8小学校の教員を務めていたという経歴も共通していたそうです。金載圭からそういった話を聞いたことがあります。そう、金載圭は朴大統領とは幼い時から親交があるのではないかと思っていましたね。

朴大統領は金載圭に対して、弟のように接していましたよね。
大統領が金載圭をひどく責め立てて申し訳なく感じている様子はなかったのですか?

金桂元
金桂元

ええ、朴大統領は誰にも言わないようなことでも、金載圭には弟みたいに話していましたからね。
申し訳ないという感じはなさそうでした。金載圭を信頼して可愛がっていました。「あいつとはケンカしても大丈夫」というやり方でした。
金載圭は「ここにいる連中はみな俺ほどの者はいないのに、俺を侮っている」と思っていたようです。

その様子だと、朴大統領は車智澈よりも金載圭の方を信頼していたのでは?

金桂元
金桂元

ええ、その通りです。

朴大統領の車智澈への接し方は、金載圭とは違っていました。

金桂元
金桂元

そこまで親密ではありませんでしたね。どこか距離は置いていたようです。

車智澈と金載圭の対立を朴大統領が利用して権力の安定を図ろうという見方はできませんか?

金桂元
金桂元

政治家として競争させたかもしれませんが、朴大統領の性格的に悪意を持ってそういうことはしませんでしたよ。二人とも可愛がっていたのです。

 金桂元によると、朴正煕大統領は嫌いな人物とは会おうとしなかった。金桂元が大統領を金壽煥キムスファン枢機卿や姜元龍カンウォニョン牧師と繋げようとしても、拒絶されてしまった。

金桂元
金桂元

私はそういった方々と朴大統領を繋げようとしましたが、「やめろ」と言われました。
朴大統領は私や金載圭に会えば、子供みたいに「やめろ」「ほっとけ」「嫌だ」とおっしゃいました。もちろん他の秘書官たちに対しては、そんな表現はしません。

鄭昇和将軍と車智澈の関係はどうでしたか?

金桂元
金桂元

良くも悪くもない間柄です。
でも、車智澈は鄭昇和をちょっと下に見ていましたね。自分の意のままに動かせると思ったようです。鄭昇和は自分の考えを持った人なので、軽はずみに動く人間ではありませんけどもね。

金室長からは朴大統領がどのような人に見えますか?

金桂元
金桂元

全てにおいて清廉でまっすぐな人です。グダグダと遠回しに話される方ではありませんでした。
最近あの方を「親日派」と呼ぶ声が多いですが、それを言ったら、韓国人一人残らず親日派になってしまいます。過去の問題を引っ張り出して、いつまでこんなことを続けるのでしょうか。

朴大統領が酒席で日本の歌を歌うことはあったのですか?

金桂元
金桂元

えー、いや……ありませんよ。
日本の歌を歌ったからといって、何だって言うんですか。

親日派になるとでも言うのですか?

権力者としての朴大統領は非情だと言われますが、行政の人たちは彼のことを温かくて合理的な方だと見ているようですね。権力者として見るか、CEOとして見るかで見方が大きく変わる気がします。もしや怖い人だと感じたことはなかったですか?

金桂元
金桂元

いや、別に。
当時はある程度、統治に自信を持っていたように見えました。

 金桂元元秘書室長によると、朴正煕大統領は釜馬プマ事態を重く見ておらず、車智澈警護室長は、金載圭情報部長が現地を視察して驚いたから騒いでいるだけと話していたという。

地域が限定されていたのに、戒厳令を下したら問題になりますね。戒厳令は誰の主張だったのですか?

金桂元
金桂元

車智澈でしょう。

 車智澈は自身が責任を負わなくても良い立場で政治工作や武力行使を強硬的に行なっていた。その失敗のツケは金載圭率いる中央情報部に回って来る始末であった。

晩年の金桂元

 金桂元は10.26事件を目撃した貴重な生き証人であった。酌婦として招かれた二人の女性・沈守峰や申才順と決定的に異なるのは、彼が青瓦臺の秘書室長という立場にあり、政権内部をよく知る人物であることだ。それゆえに墓場まで持って行かねばならぬ機密も抱えていただろう。その中でも彼は比較的率直に心情を吐露した。

 温厚な金桂元が最も怒りや不満を抱いた対象は、金載圭ではなく、全斗煥をはじめとする新軍部だった。
 陸軍参謀総長、中央情報部長、青瓦臺秘書室長と軍や政権の中枢にいた金桂元だが、10.26事件によって人生が暗転し、残る半生は隠遁生活を余儀なくされた。

 朴槿恵が大統領に就任したばかりの2013年に、金桂元は元国務総理の姜榮勳カンヨンフンと対談し、次のように語った。

韓国で初めて女性が大統領となり、本当に困難が多いと思う。ところが我が国の政治家たちは女性大統領の弱点ばかり探している。他人を攻撃することが自身のパワーであるかのような考えを政治家は改めなければならない。

 金桂元は同時期に、クリスチャンとしての立場から『더 파더 하나님의 은혜(The Father 神様の恩恵)』という自叙伝を出版した。

 2016年12月3日、韓国でロウソク集会が行なわれている最中に、金桂元は老衰により死去した。93歳だった。

インタビュー出典

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